2021.08.12
大阪城北詰駅から野田橋址、そして京阪電車の地上線路跡へ

先日、JR東西線・大阪城北詰駅から当社までの道のりをホームページに記載しました。
そのアクセス案内のページには書けなかった、大阪城北詰駅周辺の歴史について触れておきます。

JR東西線・大阪城北詰駅の1番出口(エレベーター)を出て、東のほうへと歩いていきますと・・・。

右斜め前方に「片町東」の交差点(右に道路が曲がっていきます)が見えます。その「片町東」の交差点周辺に、JR片町線の終点駅である片町駅がありました。片町駅は、1997年の東西線の開通とともに廃止されました。
その片町東の交差点の手前を左(北)へ曲がります。

すると、奥に京阪電車の高架線路が見えますので、そちらに向かって前進します。

京阪電車の高架線路に近づくと、道路が複雑に交差しています。信号と横断歩道がありますので、横断歩道を渡ります。
この横断歩道のある道路は、鯰江川(1972年に埋め立て)が流れていた跡だそうです。

横断歩道を渡ると、「のだばし阯」の石碑があります。昔、このあたりに鯰江川が流れていて、野田橋という橋が架かっていたそうです。
そして、野田橋の北側には京阪電車の野田橋駅(1910年に開業、1955年に「片町駅」に改称し西側に移転、1969年に廃止)がありました。当時、京阪電車は地上を走っていました。
その京阪電車の片町駅は、京阪電車の京橋駅周辺の高架化に伴って廃止されました。

もう1つ道路を渡って、京阪電車の高架線路をくぐります。

京阪電車の高架線路をくぐって、右手にある横断歩道を渡って、右方向へ進みます。
この高架線路の北側の道路は、昔、京阪電車が地上を走っていた線路跡です。

右手に道路を挟んで京阪電車の高架線路を目にしながら、東へ(京橋駅方面)歩きます。

すると、不自然に道幅の広い歩道が伸びています。ここも、昔、京阪電車が地上を走っていた線路跡です。
(写真の赤い矢印は、当社への道案内のためのものです。)

そのまま前進すると、大阪メトロ京橋駅2号出口が見えてきます。その右手に、当社(京橋フロントビル)があります。
京橋フロントビルの北側の道路も、京阪電車が地上を走っていた線路跡なのです。
そして、このあたりには、もっといろんな歴史があるのですが、本日はここまでにしておきます。