BLOG

2022.03.23

【銀行編】「スルガ銀行」と「かぼちゃの馬車事件」から考えさせられること

金融

地方銀行は、メガバンク以上に「地域と密着することが大切である」と誰もが思うのでしょうが、本当にそれだけでこの先も地方銀行が生き残っていけるのかは疑問です。

だからと言って、かつての「スルガ銀行」の「かぼちゃの馬車」事件のように、やんちゃなことをすれば、必ず「しっぺ返し」に見舞われます。

「かぼちゃの馬車」事件は、とても有名な話なので、多くの方がご存知だと思いますが、一応、念のために概略だけをお話しておきます。

「かぼちゃの馬車」は、スマートデイズ社が提供していた不動産投資商品の名称で、「女性限定のシェアハウス」のサブリースでした。投資家にとっては、「35年の家賃保証」が魅力的なのと「スルガ銀行からの融資」によって、かなりの契約があったようです。しかし、世の中にそんなに甘い儲け話はないわけで、結局は、「かぼちゃの馬車」は破綻して、投資家にはスルガ銀行への借金だけが残ってしまいました。

この「かぼちゃの馬車」が詐欺的な商法であったとか、あるいは、スルガ銀行が不正融資をしていた(返済能力のない人にまで融資していた)ことは、もちろん大きな問題なのですが、それ以上に考えさせられることがあります。

結果的には、個人投資家を餌食にしたブラックな行為でしかなかったスルガ銀行の融資ですが、当時は、監督省庁も、ビジネス誌もスルガ銀行を賞賛していました。スルガ銀行の “攻めの姿勢” を他の銀行も見習うべきだと。

しかし、冷静に考えてみると、銀行の融資において “攻めの姿勢” とは、資金を必要としていない人に無理やり資金を貸し付けることや、返済能力のない人に資金を貸し付けることでしかありません。

結局、こういう話はミクロな話であって、あらゆる業界で「需要<<供給」という供給過多の状況であることが根底にあります。

ソ連が崩壊して東欧諸国が西側の自由経済に参加し、そして、中国が台頭し、日本が新自由主義経済の下であらゆるものが供給過多の状況にさらされて、しかも、人口は減少していく。そのような中で、製造業・サービス業の需要創出のための資金需要が希薄であることが根本的な問題のはずです。いくら、日本銀行が異次元の金融緩和をしようが、マイナス金利政策を取ろうが、需要がない(本質的には供給が過多である)ことには何の意味もありません。

新型コロナウィルスの感染が拡大し始めた頃の「マスク」のように、あるいは、最近の「天然ガス」や「小麦」のように、「需要>供給」となれば、そこに投資が生まれて資金需要が生まれます。日本で、そのような状況をどれだけ創り出すことができるのかが、最も考えなければならないことなのではないでしょうか。